(頭上のまるい光はオーブ)

長山巧プロフィール

 1971年12月5日北海道生まれ。

 9歳の頃、自分で「引き寄せの法則」を発見しました。親のお使いでアイスキャンディー食べたさに雪深い中を、引き寄せの法則について考え込みながらひたすら歩いていったのを今でも印象深く覚えています。アイスキャンディーを買ってきていいと親に言われたのが、自分で引き寄せたものでした。引き寄せられたときと、引き寄せられなかったときのちがいに気づいたのです。
 その後、友人や大人たちに言っても、誰もわかってもらえなくて悩んでいました。 

 10歳の頃、「キューピット様」の名で、文字盤を使わないタイプのコックリさんが転校生を通じて流行ったときに、祭で買ってきたヒヨコに「ラリュード」とコックリさんで命名してもらいました。そして、呼んだら近寄ってくれるようにお願いしましたら、そのとおりになりました。数日後、そのヒヨコはカラスにくわえられ、連れ去られました。

 小学6年生の頃、タロット占いの入門書を恐る恐る買い、四六時中自分のことを占っていました。子供が自分で占っても、自分で解決策に導くことはできず、ときどき友人を占って喜ばれたくらいの程度でした。

 13歳の頃、札幌からの転校生が宗教的な儀式のマニアで、不思議なことに興味がある友人同士で集まって、瞑想など体験しました。ヨガの瞑想用のポーズをとりながら瞑想中の心理状態に入ると、背骨が勝手にガクガク震えだし、こわくなってやめました。

 15歳の頃、高校の自転車通学で、登校時の信号機の青信号のタイミングで、心理状態との関係を例にして、理数系だった親友に「引き寄せの法則」を教えたら、馬鹿笑いされました。 世間に打ち明けたらこういう反応をされるだろうという体験を、たったひとりの親友でさせてくれました。

 基本的に内気であった私は、高校に入学してからは親友以外とは打ち解けられず、少しずつ午前10時か11時頃に登校する日々を繰り返していましたが、ついに登校拒否にもなりました。ひとり部屋にこもり、クリシュナムルティの哲学に出会い、カバラなどの算命学にはまり、タロット占いに明け暮れ、運命とは何か、善悪とは何かと、考え続けていました。仏教についてもお経を読むのではなく、お経の中に書かれている意味を知ろうとしていました。

 16歳になってクラス替えになると、同じようにクラスで孤立する男と同じクラスになりましたが、ひとり悩みよどんでた私とはちがい、その男はいじめられておりました。非常にプライドが高く、馬鹿にされる原因のすべては、自分を笑う人々のせいだと思い込み、極限に達すると教室の椅子を振り上げ暴れ回るタイプでした。私はその男について回り、なだめ、諭しました。その男の心の成長にはかなわず、私は力不足を痛感したのですが、のちに他のクラスメートから感謝されました。

 16歳の1988年11月25日、高校の古語の授業中に、初めて神様の声を聞きました。そのときの不思議な精神状態が怖く「まだお金で苦労してから悟りたい」という衝動がなぜかわいてきて、神様の声で伝わってきたたくさんの真理が頭の中から次々と消えていき、「男女は平等」「善悪は両方必要」のふたつだけ留めることができました。 

 19歳の頃、会社でもめている同僚の仲裁に入り苦労していると、正しいことをしている私を誰も非難できないと気づいたとき、突然頭上から温かい光で照らされたような感覚になり、自分の呼吸が耳元で聞こえるような錯覚を起こしながら、涙が溢れてきました。直感的に温かい光がイエス・キリストだとなぜか確信しました。私は仏教徒でキリスト教徒ではないのに、キリスト教が好きでした。 
 この体験から、もっと悩んでいる人のために何かをしようと決意しました。

 21歳の1993年10月からプロのタロット占い師になりました。24歳の1996年1月までの約2年間で延べ3千人以上の方のご相談を受けました。当たればいいというものではないと痛感しました。心当たりのないデマである「死ぬと言われた人が店を出てすぐに車にはねられて死んだ」という都市伝説のようなものが勝手に広まった体験もして、世間とは結構いい加減だとも思ったものです。
 また若かったこともあり、一般の未婚女性から「結婚もせず、社会的に成功もしていないのに、どうして人の人生を語れるの?」と言われたり、ホステスから恋愛相談されて、見た目同様恋愛経験の少ない私からのアドバイス中に「あなたには言われたくない!」と言われたこともあります。

 タロット占い師を辞めた後の24〜25歳頃までは、悩んでいる人のためにもっと役に立ちたいと、医薬品業界や健康食品業界に飛び込みました。配置薬販売、健康食品販売自営、ドラッグストア店員と体験し、薬事法を知り、医療の問題点を垣間見たまま、その問題点に取り組む資格が自分にはありませんでしたので、医療に関する社会貢献は断念しました。

 26〜34歳までは、25歳で始めた自営の借金を支払うために人生相談や健康問題などの直接的な人助けは一旦手を引き、得意分野でお役に立てればいいではないかと自分に言い聞かせ、パソコン関連の仕事に方向転換し、携帯電話業界や家電量販店業界に勤めて、パソコン修理、ウイルス駆除、パソコン教室講師等をこなし、役職も頂いていましたが、地元では採算が合わず廃業致しました。

 29歳の2001年6月18日、人を救う奇跡を願っていると、さまざまなことが頭に浮かんできました。「日本は豊かでありながら国家として世界の模範とはなり得ず、日本人が個人で世界を舞台に人類の方向性を示すだろう」「将来、救世主のような者は現れるが、病気を奇跡的に癒し尊敬されても、神の言葉は語らずに哲学を展開し、イスラム原理主義の行き過ぎを戒める努力をするため中近東へ飛び込むだろう」「西洋人の考える救世主は現れず、西洋人は中近東の救世主に理解を示すだろう」 

 34歳の2006年2月にオリジナルの株式投資法を発見しました。 

 同年11月から全国の神社をお参りして回ったあと、仕事の都合で住んでいた岐阜県中津川市に鎮座している西宮神社で初めて神様からお言葉をもらってから、神社でお言葉がもらえるようになり、1年ほど経ってからは一度お参りした神社の境内を思い出すだけで、神様のお言葉をいつでも頂けるようになりました。 

 36歳になって、人の心も神様の分身・一部なら、神社でお言葉を頂く感覚を人間に対して行えば、その人の心の中からの言葉をもらえるかも知れないと何度か試みたところ、2008年4月20日から、人の未来・人生の目的も言葉が頂けるようになりました。ご本人は自覚がないので、わかりやすく霊視と表現しました。

 同年6月から、より多くの人に会うために本業とするべく霊視の有料鑑定を始めました。

 翌月からは、霊視の鑑定料金を固定に致しました。

 同年10月には、拠点を北海道東部の釧路から北海道庁所在地札幌へ移し、鑑定料金の改訂と、霊視内容に前世鑑定及びチャネリングを追加しました。


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